【オンラインピアノ講師&教室運営アドバイザーのこぱんです!】
オンラインでのレッスンの楽しさをお届けしながら、現在はオンラインレッスンをされたい先生のサポートもしています。
そんなこぱんのピアノプロフィールをお話します。
ぜひ最後まで楽しんで読んでくださいね!
オンラインピアノ教室の先生になるまでのお話
ヤマハ音楽教で3歳〜小学生くらいまでのグループ、個人レッスンを10年以上経験後、現在はオンラインレッスン専門で日本だけではなく海外にお住まいの方とレッスンをしております。
決してピアノが得意ではなかった私がどうしてピアノの先生になったのか。私のこれまでをお伝えしたいと思います。
少しお付き合いください。
コンプレックス
さっそくネガティブな話ですが、私には音楽に対してのコンプレックスがいっぱいあります。
- 手が小さい
- 人前で話すのが苦手
- 歌がヘタ
- 練習キライ
- 本格的に始めたのが遅い・・・
私も…って思う人いっぱいいるんじゃないでしょうか?
音楽との出会い
3歳くらいからカワイ音楽教室のリトミックに通っていました。
もちろん自分で決めたわけではなく親に連れられて…。
幼心に少し記憶はあるのですが、今となってはあまり思い出せません(笑)
覚えているのは幼稚園に入ってからです。
ヤマハ音楽教室のグループレッスン体験に行きました。
母は3人の先生で体験を申し込み、私に一番合う先生を選んだと言っていました。(入会する時にそこまでする方は少なくなっていますが…)
ちょっと多いですよね…。今から考えたらそれだけ考えてくれていた…ということにしておきましょう(笑)
幼児科の2年間は保護者同伴、その後は子どもたちと先生だけのグループレッスンと併用して個人レッスンも始めました。
ここでもまだ自分の意志はなく、言われるがママ続けていました。
ただ、嫌という気持ちは全くなく、友達に会えることが楽しかったのを覚えています。
そして何より年に1回あるアンサンブル※1 の発表会が楽しみで仕方なかったんです。
※1 ここでのアンサンブルとは、ヤマハ音楽教室で使うエレクトーンをたくさん並べてみんなで演奏して1曲をつくりあげるというものです。
いろんな楽器の音色が出せるエレクトーンを使って友達とアンサンブル(合奏)する。
一人ひとりが違うメロディーを弾いて合わせる快感は、その後の私の音楽生活においても支えになるものでした。
練習不足で怒られても楽しかった。
年齢が上がると発表会だけではなく、コンクール(簡単に言うと競って順位を決めるもの)にも出るようになります。
余談ですが、私には年の離れた妹がいて同じくヤマハに通いアンサンブルをしていました。
あるコンクールで妹のグループが金賞を取り、次のもっと大きな大会に進める…ということがありました。
私は銀賞でその大会止まり…
悔しくて翌日学校の保健室でずっと泣いたこともあります(笑)
大きくなったからはあまり意識していませんでしたが「負けて悔しい…」、「負けたくない!」という気持ちはここから始まったのかもしれません。
小学校高学年になると塾も忙しくなかなか練習の時間も取れませんでしたが、それでもグループレッスンは楽しく通っていました。
むしろそれが楽しみで塾を頑張っていたのかもしれません。
本格的にピアノを始める
楽しくグループレッスンを続ける一方で個人レッスンも同じ先生に習っていました。
その先生からも「本格的に始めるなら専門の先生についた方がいいよ」とアドバイスを受けました(ピアノをしていると大学に行くためにその大手で教えている先生につく人が多いです)。
中学2年生からは専門の先生に習い始めました。
大学でも教えている先生となると本当に厳しくてビシバシ!!という先生も多いなか、紹介していただいた先生はとても優しく、わかりやすく教えてくださる方でした。
できる生徒、上手になる生徒ではなかったであろう私に丁寧に指導してくださいました。
その先生がある時、「私は習いに来た生徒さんが落ちこんで帰るのイヤなの!楽しく来てほしいから」とおっしゃっていましたが、まさに私が目指しているレッスンそのものです。
できなくて怒られたりヘコむことはあるけど楽しく続けてほしいもの…。
そんなマインドを植えつけてくれた先生でした。
更に高校からは理論的なことも学ぶべく(音楽用語では楽典といいます)、楽典を教えてくださる先生にも習い始めました。
こちらの先生も大学でもバリバリ教えられている先生でレッスンは厳しかったのですが、終わると毎回紅茶とお菓子を出してくださいました。
後にわかったことなのですがそんな先生はめずらしいようで…。
甘いものが好きな私はそれを楽しみに通っていました。
ちなみに楽典(聴き取り、書き取り)は大っキライでしたが…(笑)
大学生になってから
第一志望の大学には残念ながら受かりませんでしたが、無事に音楽大学に入学することができました。
そこは、1学年100人もいる大きなところでした(ピアノ専攻では多い人数です)。
大学までくると同じような環境でバリバリ練習してきたツワモノばかりなので、いい意味で競い合いながら練習に励むことができました。
指先は大事だからとバイトしない人が多いなか、私はマクドナルドやトンカツ屋さんなどしっかりと手指を酷使するアルバイトをしていました(笑)
高校まで親にバイト禁止と言われていたのでその反動もあったのかも…。
とても楽しい大学生活でした。その中でも大きな出来事がふたつ
まずはピアノ2台のアンサンブル(ピアノ2台の合奏)を専攻したことです。
本来ピアノは1人で弾くことが多いため、誰かと合わせる機会が少ない楽器です。
相方と毎夜21時まで練習に明け暮れ、年に1回オーケストラと共演するためのオーディション(試験)に合格し、貴重な経験を得ることができました。
そしてもう1点は大学卒業演奏会です。
100人中上位10人が出られる演奏会に選ばれ演奏しました。
ただ、その頃には音楽教室の事務として就職が決まっていたので、卒業したら趣味で続けようと思っていた私にはとても大きな出来事で、終わったあと無気力になり本当にピアノをやめてもいいか悩む日々が続きます…。
就職、そして先生へ
決まっていた就職を蹴る勇気もなく、卒業後は音楽教室の事務として働きました。
そこではピアノの先生たちが生徒さんたちと楽しくレッスンをされています。
それを見ているうちに、
「私も先生として音楽の楽しさを伝えたい」
という気持ちが日々強くなり、会社の理解のもと講師の試験を受ける決断をします。
個人のピアノの先生は人前で歌ったりすることは少ないと思いますが、私が受けたのは
「ヤマハ講師試験」
子どもに教えるために、手元を見ないで伴奏し生徒の方を見て歌うという課題もありました。
ここで、冒頭の私のコンプレックスを思い出してください。
- 歌うのヘタ
- 説明ヘタ
- 練習キライ
- 人前で話すの苦手
全てこれからやらなきゃいけない…。
でもこの時の私は、苦手ということより生徒を楽しくレッスンしたいという気持ちの方が上回っていました。
無事、試験にも合格し、晴れて先生になることができました。
新講師の時は泊まりがけの研修もあり、同期の友達と
「こう伝えた方がわかりやすい?」
「なんでこの伴奏で弾いた方がいい?」
などレッスンを向上させる方法をみんなで考えまくりました。
研修ではあまり夜寝られてなかったかも…。
教えてくれる先生は厳しかったけど仲間がいることで頑張れました。
実際レッスンしてみると、研修の時は考えつかないようなイレギュラーな事態が起こりまくります。
- その時の気分が乗らずに泣く
- 上手に弾けないと言って泣く
- おかあさんとバトってからレッスンに来て終始不機嫌 etc…
今でこそ、子育てをするようになって「うんうん、そんな時もあるよね」と構えていられますが、指導するだけでもいっぱいいっぱいなのに、そんなことになったら私もパニックです。何がダメだったんだろうっていつもヘコんで考えていました。
でもそこでじっくり考えたことが今の子育てに繋がっています。今までの経験が全て活かされています。
なかでも中学生の時のピアノの先生が教えてくれた言葉はずっと持っていました。
明るく接すること、楽しんでもらうことをモットーにレッスンしていくうちに気付いたら120人以上の生徒さんを同時に受け持たせてもらうようになっていました。
現在は出産、主人の転勤、またコロナ禍を経て「自宅で楽しいレッスンを」するべくオンラインでレッスンをしています。
対面では出会えなかった方々との出会いや、レッスンを始めてから前よりピアノが好きになったとのお声もいただき嬉しい限りです。
オンラインレッスンの可能性はこれからも、もっと広がる
私はそう思っています。
だって世界中の方と隣にいるようにお話しすることができるんです。
音楽を楽しむことができるんです。
音楽だけではなく、色んなレッスンがオンラインになってきています。
もちろんオンラインだけがいいというお話ではなく、対面とオンラインの
どちらでも楽しめるレッスンがたくさんあれば、今まで始められなかった人が一歩踏み出して楽しめる。
そんな素敵なことはないですよね。
今までの経験を生かして、オンラインレッスンだけではなくこれからオンラインレッスンをされたい先生方のサポートも積極的にしていきます。
これからもっともっと、オンラインを通して音楽やさまざまなレッスンを楽しむ方が増えたらいいなと考えています。
これからもどうぞよろしくお願いします。
こぱん